1956年に日本に上陸した『ポゴスティック』は『ホッピング』と名前を変えて一躍大ブームを巻き起こしました。今年定年を迎える団塊世代の一期生は1947年の生まれですから、その『ホッピング』が大流行した1956年は9歳から10歳ということになります。たぶん、このホッピングを流行らせた張本人がこの世代なのではないかと思っています。
このフライバーの存在を始めて知ったのは株式会社せいるの関社長からの電話からです。
「とんでもなく高く跳ぶ『ホッピング』がアメリカにあるらしい。ディスカバリーチャンネルで放送していた。『フライバー』っていうんだ。本当に空を飛んでいた。」
それを聞いても実は最初ピンときませんでした。『ホッピング』という名前は聞いたことはありましたが、すぐにその商品が思い浮かぶということはなかったのです。
わたしは1954年の生まれですから『ホッピング』が日本に上陸した1956年はまだ2歳です。3つ違いの姉がいますので、わたしの家にあったと記憶しているその『ホッピング』はたぶん姉のために買ったものだったと思います。
1956年の『ホッピング』のブームは何によって起こったものなのでしょうか。そしてその大流行した『ホッピング』は一年も経たずに収束してしまうのです。

1980年『ホッピング』はバンダイが発売した『スカイホッパー』で蘇ります。
おもちゃ業界では、それ以来『ホッピング』はある意味で定番商品として定着していきます。

『ポゴスティック』、日本では『ホッピング』というのは、飛び跳ねるというより、ピョンピョン跳ねるという感覚です。英語では、バウンシング(BOUNCING)といいます。そのぴょんぴょん跳ねるだけのおもちゃが日本で大ブームを巻き起こしました。歴史的に見ると『ホッピング』は日本でのおもちゃのブームとしては戦後初めてのものだったと言えます。『フラフープ』というプラスティックの円筒を輪にしたものが流行しました。1958年のことです。スポーツ性はありませんが、それこそどの家にいてもあったのが1960年に流行ったダッコちゃんです。
『ホッピング』は今の言葉でいえば、当時としてはメガヒット商品ということになります。社会現象になり、その当時の子供で『ホッピング』を知らない子はいなかった状態です。その当時としても間違いなく100万台以上は売れたのではないかと思われます。団塊の世代の数から考えればそんな数ではなかったのかもしれません。そしてそんなに売れて、社会現象になってしまったがゆえに、胃下垂になるとか、足が骨膜炎を起こす子供が出てきたのです。フラフープで腸捻転を起こす子供が出てきたのと同じです。
しかし胃下垂になったり足が骨膜炎を起こすぐらい夢中になって『ホッピング』をした子供たちがたくさんいたというのはピョンピョン跳ぶ、言い換えれば、自力では跳べない以上に高く跳べるという身体的感覚が子供たちを捉えたのではないでしょうか。

高く跳ぶという人間の欲求は、決して子供だけのものではありません。大人だって高く跳びたいのです。しかし大人の体格では『ホッピング』や『ポゴスティック』はその願いを叶えてはくれません。だから、『フライバー』の出現というのは必然だったのだと思います。
SBIエンタープライズ社のイルビン、MIT出身の発明家ブルース、プロスケートボーダーのアンディー三人の『高く飛びたい』という願いが結実して『フライバー』は誕生しました。

人間には空を飛びたいという原初的な欲望と同時に高く跳びたいという感覚も具わっているのではないでしょうか。
テストマーケティング用に輸入したフライバー800を早速テニスコートに持ち込みトライしてみました。最初はペダルに乗っていることもむずかしい状態でしたが、何となく感覚が掴めるとホップできるようになってきました。
ピストンを長くしてより跳躍力を増した状態で踏み込むと身体が宙に駆け上がります。その感覚はまさに駆け上がるというもので、駆け上がったものがこんどは駆け下りてくる。この爽快感はやっぱり高く跳びたいというのは人間の本能なんだな、とつくづく思います。

『フライバー』はモバイル・トランポリンとも謂われています。どこでもトランポリン感覚を楽しむことができるのです。ミニ・トランポリンやリバウンダーによる運動が体内の細胞に同時に刺激を与えて活性化させるというのは、フィットネスの世界では常識となっています。

エンジョイ・ザ・ヴュー、景色を楽しんでください。これがフライバーのキャッチ・コピーです。そう、フライバーでのフライトを経験すれば、この言葉がよくわかります。まずは一度『フライバー』を試してみてください。